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ブラジル音楽の心 − エリス・レジーナ(3) |
2003年7月8日 |
ブラジル音楽研究家 広瀬秀雄 |
エリス・レジーナがさらに輝きを増したのは、私生活では有能なピアニスト兼アレンジャーのセーザル・カマルゴ・マリアーノとの再婚、芸能活動面ではエリスをもっと大きな視野で活躍させる新マネージャーとの契約等がきっかけとなり、コンサート活動やレコード吹き込みが、生き生きとしはじめた74年頃からといえよう。
74年にはロスアンジェルスでボサノバの大御所トム・ジョビンとの歴史的な共演。レコード吹き込みとマリア・デラ・コスタ劇場やカトリック大学でのコンサートも成功した。75年には最高の人気公演となった。“ファルソ・ブリリアンテ”の公演を開始、実に14カ月のサンパウロ長期公演となり、ブラジルのショー史上空前の様々な記録を作り上げた。
これ以後各種コンサート、テレビ、レコードと多岐に安定した活動を続けたエリスであったが、81年に2番目の夫セーザル・カマルゴ・マリアーノと離婚、82年1月、急性麻薬アルコール中毒で36歳の着さで衝撃的な死を迎えた。
エリス・レジーナが近年最大の歌手であることは一般の認めるところであるが、数多くの各公演を見続けてきた一ファンとしてその魅力の一端を伝えたい。そしてまたエリスの魅力はブラジル音楽の魅力に通じるという観点も明らかにしたい。
エリスの魅力の一つは声にものすごい幅があり情感があるので、単調になりがちなボサノバではうるおいと開放が、重くなりがちな激しいサンバやプロテスト的な歌には軽快さが、フォークローレ系には現代的響きが加わり常に新鮮に聞けることであろう。
声に幅があり、楽譜がほとんど読めず、天性の素質がテレビやレコードといった狭い枠組を飛びだして、ライブ公演で本当の凄さが分かるといった面などは日本の美空ひばりに似ている所もある気がする。
エリスの成功の一因には新進作曲家の曲を取りあげて歌う積極性にもあろう。若きエド・ロポの曲でコンクールで優勝し大ヒットを飛ばして以来、ミルトン・ナシメントの曲を初めてレコード化したのも、ジルペルト・ジルが上下の背広で007のアタッシュケースを持ってドキドキしながら作品を見せに行った相手もエリスであり、今をときめくジョアン・ボスコの作品を歌ってヒットさせたのも彼女であった。
もう一つ見逃せないのが伴奏するミュージシャン達との貪欲ともいえる交流である。新人時代には、ボサノバ、ジャズ系のジンボトリオのメンバーからジャズのフィーリングを学び、後には夫セーザル・カマルゴ・マリアーノを始め、エーリオ、ルイゾン、ウィルソン・ダス・ネービスといった一流の音楽家達が常に伴奏家として控えていた。
ジンボトリオのメンバーが、エリスは歌手というよりまるで演奏家のようだと言った話や、伴奏のバンドとの熱心な意見のぷつけ合い等、彼らから得たものが彼女の音楽性を深めるのに大きく貢献したといえよう。
いままで挙げたものは、むしろエリスの音楽家としての素質であるが、他にも歌が抜群にうまい歌手や音楽性豊かな音楽家はたくさんいる。その中でも最もポピュラーになり、後に続く歌手たちに多大の影響を与えている最大の理由は、彼女のありのままの人間性を歌う姿勢からくるのではなかろうか。
ブラジル人の移り気、無責任さ、強情、抜け目なさ、そして楽天的、愛想の良さ、ロマンティズム、率直さ、激情等欠点も長所もすべてこの上もない歌唱力と素直さでそのまま歌に反映させ聞く者が深く底を流れるものに共感を覚えるからではなかろうか。そこには人が肩ひじを張らなくても受け入れられるあたたかな人間性がある。
余裕のない新人歌手時代ならいざしらず、人気もつき余裕ができれば、たいがいの人ならどこか飾りたくなる。しかしエリス・レジーナのショーではいつも、タイツ姿でショート・カット、靴もはいてないまま、立ったりあぐらをかいて歌ったりという飾らぬイメージやシーンがあり、素で広い舞台に立って歌っている歌のなかにも豊かな情感が常につまっていた。
私が見たショーの中で一番印象深かったのはやはり最も成功した“ファルソ・ブリリアンテ”で2、3回見たと思う。暗い舞台に白い光だけというモノクロームの広い舞台を、エリス・レジーナが子供の様に走り回り、踊り手や共演のミュージシャン達が追いかけたり輪になったり飛び出したりと、動き回る。
その情景は、この文の冒頭に話したパウロの家に遊びの行った時、金髪やちぢれっ毛で、肌の色も異なる子が実の兄弟であるその家で、皆が走り回って遊んでいる風景と、実に似通っていた。
“ファルソ・ブリリアンテ”の舞台では、渾然一体とした不思議なエネルギーが満ち、まさにブラジルを発散していたのだ。(了)
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