2002年6月20日 |
ブラジル音楽研究家 広瀬秀雄 |
客足の途絶えた午後、店内の階段に腰掛けて店員のパウロが、マッチ箱を打楽器代わりに使って低くボサノバ調の音楽を口ずさんでいる。右手の5指を交互に軽く箱に叩きつけながら左手で箱をリズミカルにしゃくりあげる。ズガチャカ・ズガチャカ、パンディロそっくりの音だ。
“オ・オーメン・キ・ジス・ドウ・ノン・ダ”(あげると言ってた男がくれたためしがない)
軽快にボサノバのリズムに乗ったやや低めのメロディーが途中から激しく高い調子に変化する。
黒人系の甘みのあるトーンに、16歳の少年の中性的な感じが加わり、悪くない声となっている。
「何ていう歌?」
「カント・デ・オサニア」
「ふーん、誰が歌っているの?」
「エリス・レジーナという若い女性歌手です」
この時、初めてエリス・レジーナの名を聞いたが、ポップ歌手なのかなと思った程度だった。
1969年の末、兄に連れられてノーベ・デ・ジューリョ通り近くにある有名女優の名をとったマリア・デル・コスタ劇場でエリス・レジーナのショーを初めて見る。
ショーの出演者は、エリスとミエリという中年の背の高いタレントで、演出は当時のエリスの夫のボスコリで、彼はジャーナリストおよび作詞家として有名であった。
ショーはエリスとミエリのデュエットで始まった。国際都市リオで生まれ育ったボスコリの演出だけあって、粋なスタンダードジャズをエリスとミエリがかけあいで歌ったりタップを踊ったりアメリカの達者な芸人の舞台を観ているようで、ブラジルのショーを見慣れていない私にとっても楽しく感じられた。
ところが第2部、広い舞台にエリス・レジーナは1人になり、ブラジル音楽だけになると劇的といってよいほど雰囲気が変わった。
まずバックのバンド演奏が今まで私の知っていた音楽とかけ離れ、リズムが簡単に取れなくなってしまった。ドラムやパーカッションに加え他の楽器もリズム楽器化してそれぞれのリズムが一体になったり、ポリリズムになったりし、その上に全体のリズムの主役が間断なく変わったりと複雑この上もない。ジャズやマンボなどのラテン音楽の明快なリズムになれた私にとって、まったくなじみがない。
それにもまして小柄で一見かよわそうな若いエリスが、暴力的とも言える圧倒的な音量のリズムと和音の演奏に軽々と乗るだけでなく、むしろ引き回すリズム感、時にはほとばしる様に歌い上げ、時にはつぶやく様に語りかける、そのダイナミックで多彩な歌唱力にはただ驚いて感激した以外の記憶がない。
後日、この前後の時期にエリスと楽団が、ロンドンでレコードの吹込みを当地のオーケストラと一緒に行い、その時45人の楽団員と関係者が、ただもうびっくり仰天したとリーダーのロベルト・メネスカルが伝えている記事を読んだ。そりゃそうだろうと充分納得できた。
(つづく)
当寄稿(文)に関する著作権は、広瀬秀雄氏に帰属します。
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