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困る質問

2002年12月10日

サンパウロ在住 美代賢志

 初対面の方と雑談になると、ほとんどの場合そうなのだが、なぜブラジルに来たのかと訊かれる。

 実はこれ、私には答えられない。ブラジル音楽が好きで…などと答えるほど、ブラジル音楽マニアでもない。サッカーが好きで…というほどサッカー狂でもない。

「でも、自分で選んだわけでしょう?」

 それはそうだ。だけど、ブラジルを選んだ(つまりブラジルに来た)という意識ではないのだ。説明を始めると、それこそ長くなる。例えばこんな風に。

 1998年の移民90年祭に天皇皇后両陛下がブラジルを訪問された折、翻訳部記者兼制作部という配属だった私も、社会部記者としても働くことになった。この時に偶然、皇宮警察の方と話す機会があった。

 その時、両陛下はブラジリアの大統領府(プラナルト宮)内でレセプションの最中だった。

「それにしても皆さん、揃って柔道や剣道の有段者とはすごいですね」

「それは違いますよ。もし一番になれないと思うなら、続けるのは無駄というものです。さっさと辞めた方が良いですね。そしてやるなら、一番を目指すべきです。あなたのカメラもそうでしょう?」

 この会話自体はこの時、私にとってそれほどの印象を与えなかった。ところが続いて起こった2つのアクシデントが、この言葉を印象的なものに、そして忘れられないものにした。

 新聞社も数年続けていると、とりわけこういう日系社会の小さな企業であるから、取材に行けばその日の紙面は頭に浮かぶ。この日も、両陛下の写真グラフを掲載するだけの分量は、すでに撮影済みだった。それに、専門のカメラマンだって別にいるのだから充分。カメラを仕舞い、雑談しながら記事の構想を練った。両陛下がご退出されたらホテルに帰り、頭の中で書き上げた原稿をさっさと筆写してFAXすれば終わりのはずだった。

 …と、天皇陛下が出てこられた。その時、まさに陛下の真正面に並んだ儀丈兵のひとりが熱射病なのか、失神して倒れたのである。

「おわ、確かに暑かったけど、ゴッツイことになりよったぞ。かわいそうにアイツ、後で絞られるで」

 まさに一瞬の出来事だった。自社のカメラマンに聞くと、彼は撮影していなかった。周りのカメラマンも、撮影できなかったと騒いでいる。

 ところがその週末に発売されたVeja誌に、何とこの瞬間の写真がバッチリ掲載されていた。しかも見出しは日本語で、「ドラゴンは辛ろうございます」と、下手くそな手書き文字で書かれていた。ドラゴンとは、倒れた儀丈兵が竜騎兵と呼ばれることからだろう。私には、日本語メディアに写真が掲載されなかったことへの当てつけのように思えた。カメラマンに頼っていた軟弱な自分を恥じた。

 次の一件はサンパウロだった。この日は、イビラプエラ体育館で行われた式典の撮影に駆り出された。分担は写真だけなので、式典途中で会場を抜け出し、両陛下が退出されるであろう出口の方へ歩いていった。

 取材要綱には、出口がどこなのか、またそこが立ち入り禁止なのかどうかも記載されていなかった。しかし体育館の構造を考えれば、おのずと出口は限られてくる。「多分、警察に阻止されるだろう。その時はその時じゃ!」。そう思って、望遠レンズを装着した。

 ところが警察は私を誰何するどころか、道をあけてくれた。実は私は、「私はパウリスタ新聞のカメラマンである! 陛下の退出されるご門へ行くので、ここを通せ!」と言ったのである。おそらく警察も、「多分、こいつは許可されているのだろう。そうじゃなけりゃ、入って良いかどうか聞くものな」などと勘違いしたのではなかろうか?

 そんなこんなの口八丁で、閉鎖されたエリアを次々と突破した。ドンドン歩いてゆくと、サンパウロ総領事の車として見慣れたベンツが止まっているところまでやってきた。

「こ、ここか?? 確かに体育館からの出口もある。でも、これではもろに目の前じゃないか! いったい、両陛下の警備体制はどうなっとるんだ?」

 サングラスをしてターミネーターみたいなブラジルの私服警察官に羽交い絞めにされた、1995年の内親王取材を思い出してしまった。「こんな目の前で、写真撮影して、大丈夫か? あの時は顔見知りの領事の目の前で羽交い絞めにされたから助かったけど、今回はそれこそ逮捕、拘留されてしまうのではなかろうか?」

 などとビビっていると、イキナリのように両陛下がお出になられた。あまりのことに、望遠レンズを装着したままだった。この距離では、お顔の一部しか写らない。いや、そもそも最短撮影距離よりも近い。光学的に(正確にはレンズの構造上物理的に)ピントが合わないじゃないか。

 そして両陛下は、こちらの戸惑いなど気にもなされず、車にお乗りになられた。ところが、この場所に入ってきていた民間人は、私だけではなかった。車がブブーンとエンジン音を轟かせた時、日系人のおばさんが封筒を手に、車に駆け寄って行ったのである。車にしがみつき、そりゃもう、見ていた私もビックリ。

「な、な、何や? あのオバハンは??」

 写真撮影できなかったショックから立ち直る前に、新たなアシデントの発生。頭の中は真っ白だった。たぶん私は、ポッカリと口を開けていたに違いない。

 訊けばこのオバハン、「私は皇室の血を引くものだ」などと意味不明(文章自体は意味をなすけれども、現実には起こりえない話ということです)な文書をしたためて、陛下に直訴したのだという。おいおい(当たり前ですが陛下は、お受け取りになられませんでした)。陛下が手紙を受け取らなかったので、このオバハンはマリオ・コーバス州知事に対して陛下に渡してくれなどと陳情を始めた。

 この頃になると、ほかのマスコミも大勢やってきて大騒ぎになった。私もやっとこさ、我にかえった。でも、いまさら撮影したところで、その他のカメラマンの写真と変わりあるまい。ファインダーを覗くことすら、諦めた。

 その晩、共同通信から編集部に電話があった。

「あの体育館の一件、最初に現場にいたそうですね。陛下の車にしがみついている写真、あります?」

「いやぁ、実は撮影できなかったんですよ」

「そう…。あの手紙って、どんなことが書いてあったか分かる? この女性は、何て名前?」

 しばらく経って、日本から送られてきた提携紙に、この一件が写真なしで掲載されているのを見た。配信元は共同通信。「この記事に写真さえあればなぁ」。そう思うと、本当に悔しかった。その現場に潜入しようとする自分を信じなかったことを後悔した。絶対に潜入できると確信していれば、あるいはそれだけの気持で挑んでいれば、望遠レンズなど選ばなかったはずだ。

 この一件(というか二件か)以来、少なくともこんな形で後悔するような生き方はしたくないと思い続けている。もちろん、いまだに後悔の連続ではある。しかし、そんな自分の気持ちに素直に生きることができるのが、この国だ。結果的にブラジルを舞台にしているのであって、ブラジルを選んで生きているのではないのである。

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