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「女性自身」の話 (その1)
2002年5月8日
サンパウロ市在住 美代賢志

 Dango氏の迷訳辞典にある「蛙にションベン」が、思わぬ反響であった。それにしても、近頃なんとなく女性読者が離れて行っている感じがするのは私だけであろうか??

 というところで、気を取り直して、さらにゴリ押ししてみよう。Dango氏と違い、ここでは反対に女性自身の話。

 そう、私はその昔、といっても今から7年前の95年、アラーの怒りに触れてしまったのである。場所はブラジルの首府、ブラジリア。

 インシャラー!

 当時は、日伯修好100周年。ちなみに伯とは、ブラジル(伯剌西爾)のことである。そして政財界こぞって(と言うほどでもなかったが)、プチバブリーな企画が目白押しであった。もちろんその資金源の多くは、財界、とりわけ日本からの進出企業の皆様の寄付だったため、移民にとってはまさにバブルそのものの状況だった。もっとも私自身が頂いたバブルのおこぼれと言えば、取材のネタにこと欠かなかったという程度であり、金銭的には相変わらずのビンボー暮らしを続けていた。が、捨てる神あれば何とやら、私にもついにバブリーな企画が持ち上がってきたのであった。

 もう1度、インシャラー!

 内親王がご来伯されることに決定という情報を、その日程とともに知った時、真っ先に私の脳みそに浮かんだのは「誰が行くのか」、ではなく「果たして取材できるのか」ということであった。もちろん、取材許可のことではない。「ヒコーキで移動する対象を、ヒコーキで追いかけるだけの資金力が新聞社にあるのか」ということである。当時、ビンボーは会社(社長を除く)も私も同様だった。

 が、何と東京支社の藤崎康夫支社長が、ものすごい話を持ってきたことで状況が一変した。

 その話とは、とある週刊誌に写真を掲載する。ついては取材費が出ると言うのである。つまり、他人の褌で一石二鳥を狙う作戦。しかも当時、クローム(ポジフィルム)を使って撮影ができるのは、私しかいなかった。

 そこで私は、主戦場であるサンパウロとブラジリア、さらにリオの取材を行うことになった。が、ここで不安になったのは、宿泊施設と移動手段である。日本の雑誌社から、ものすごい金額が転がり込むという噂であったが、ホテルはさすがに旅行代理店など通さず直接交渉である。そして移動だって、タクシーなんぞ使ってられない。忙しい取材の合間に、そんな交渉が現地で可能だろうか?

 さて…。

 そこで営業部が言うには、「ブラジリアは現地の通信員がすべて面倒を見てくれる。ホテルの手配も頼んでおいた。ホテル代は向こう持ち、君が払う必要はないから。あと、アシについては、その通信員が取材先まで運んでくれる」とのこと。準備万端とは、この事である。

 サンパウロの取材を終えた私は、満身にみなぎる自信と50本のフィルム、10kgのカメラ機材とともにブラジリアの空港に降り立ったのであった。

つづく

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