Home 貴卑談語 ブラジルを遊ぼう
談語フォーラム リンク集 ご意見
「女性自身」の話 (その2)
2002年5月8日
サンパウロ市在住 美代賢志

 しかし、ブラジリアに出発する前に問題があった。軍資金である。私の全財産は当時、150レアル(当時150ドル相当)しかなかった。そして会社から与えられた取材費は、200レアルであった…。

「ど、どないするんですか? これで」

「ブラジリアは大丈夫だ。リオは…、お前なら何とかなるはずだ。ほかの連中は、状況判断しながら取材を続けられる顔ぶれじゃないのはわかるだろ? あちらを優先してあげんとな」

 ということでひとり、放り出されたのであった。何しろ私が使う見込みの金額で、日本語編集部からポルトガル語編集部まで、すべての記者が取材しているのだ。確かに、どうしようもない。おぼつかない記憶をたどると、私の場合はブラジリアに2泊、続いてリオに2泊という日程であった。ブラジリアはともかく、通信員のいないリオはもう、どうなるのか想像すらできない状況。それに当時、リオなんて行ったこともなかったのである。

 それでも、ブラジリアの空港に降り立った。ミッション成功に対する疑いは、微塵も抱いていなかったのは、若気の至り、かも知れない。もちろんその時は、新聞社にとってこの街が鬼門であることなど、新米記者は知る由もなかった。が、すぐにそれは分かった。何しろ迎えに来ているはずの通信員がいないのである。仕方なく、公衆電話から通信員の自宅に電話をすると、娘さんらしい人が電話に出た。到着したことを伝えると、ポルトガル語で次のように説明してくれた。

「お父さんは車が運転できないので、車で案内してくれる人を探しに行きました…」

「さ、探しに行ったって…。予め話はつけてなかったんかぁ?」

 30分ほど待って電話すると、その通信員のおじさんが帰っていた。

「あ、あの〜、車持っている人がね、出かけていてそちらに迎えに行けないんですよ。タクシーで市内まで来ていただけますか? ホテルはXXです」

 初日から、とんでもない経済危機である。いきなり、取材でもないのに23レアルも使ってしまった。が、ともあれXXホテルまで行ってみると…、しばらく後におじさんが来た。

「じゃ、荷物をおきますから」

「いや、予約してないんです」

 そして、この、おじさんが目星をつけていたホテルは満室であった。計画都市ブラジリアは、ホテルは五つ星だろうと二つ星だろうと、お隣さんとしてひとつの区画に集められている。ホテルを片っ端から尋ねるのに時間はかからなかった。しかしながら、私が払える金額のホテルは(って、通信員持ちって話じゃなかったのかぁ?)いずれも満室であった。学会の発表があるとかで、ビンボー学生が安ホテルを占拠しているのであった…。

「ど、どないせぇっちゅうねん」

 周囲は、ピチピチの学生たちがキスしあったりビールを飲んで騒いだりの、ムンムン状態。この中にあって私はひとり、大量の機材を持ってボーゼンとしていたのである。が、そんなヒマもなく、仕事であった。翌日に控えた式典の説明会が大使館によって、市内のレストランで開催される時間になっていた。食事代は大使館持ちというのが、救いか。役人におごってもらうのは嫌だが、背に腹は替えられない。でも、説明会が終わるのは夜もふけた頃になるだろう。ホテルを探すには時間切れであった。

 が、そこでもアラーが手を差し伸べてくれたのである。

 インシャラー!

つづく

貴卑コラム 目次へ ページトップへ

Copyright (C) 2002 Kenji Miyo All right reserved.
 当サイトに掲載の文章や写真、図版その他すべての著作権は、断りのない限り美代賢志個人に帰属します。