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UNENをつぶすな − へそ曲がりの主張 |
2005年6月25日 |
サンパウロ在住 美代賢志 |
自主規制中。ただし、ダブルクリックしてみるぐらいの気合は持つべきでしょうな。
UNENがなくても、地方文協の相互交流はできるかもしれない。しかしブラジル日本文化協会を(現在の名目上はいち地方文協という立場から)中央組織として名実ともに再強化した場合、100周年の箱物プランのような地方を無視した企画がこの先登場したとして、UNENの形骸なくしてその暴走を止めることができるのだろうか? 今まで漠然としていたものが、ようやくその影の形ぐらいは見えるようになってきたかとも思えてきた。「ウワマエ」を狙う人たちは、常に大規模プロジェクトを欲し、その結果、文協の強大化を目指す。
「コレコレ、こういうわけだ。たかが日本からきた若者が、ブラジルの何たるか、コロニアの何たるかも知らずに記事を書くなんて生意気なんだよ。だいたい、本来ならブラジルではジャーナリストとして活動すらできない身分だろう?」と、その人は背もたれから身を乗り出しながら一気に話し終わると、再び、背もたれに身をゆだねたのだった。
私だって、今でこそ三十路を過ぎたオジサンだけど、もともとはその「たかが日本からきた若者」。だけどこの言葉を私がどう受け止めたかということは、この人にはどうでも良いようだった。ついでに言えば私は、コロニアの何たるかなんて今も分からないし、分かろうと努力すらしていないのだけれど。
「そこでね、私の付き合いのある古い連中もいなくなったし、誰か話のわかる奴を紹介してもらえないかな、ということなんですよ。サンパウロ新聞とニッケイ新聞の記者をどこか料理屋に呼んでね、ひざを突き合わせて話をする必要があるんじゃないかと思うわけです」
そこでどうやら、この「話がわかる奴」というのが文字通り聡明な記者を意味するのではなく、一本釣りに食いついてくるタイプの記者であるというのがわかった。もちろん私は、具体的な名前など挙げるはずもない。一本釣りされるようなタイプの記者は、友人に持っていないから。その後、記者以外の人物も含めてそんな人がいたという名前が出たり消えたりした後、「新聞社を離れてもう5年ですから、私にはわかりません」と言って逃げた。こんな話はうんざりだ。これが、1年程前の出来事。
その後、この場では想像すらしなかった大物(記者じゃない人)が餌に食いついて釣り上げられたのを、ある名簿に目を通したことで知ることになる。恐るべし。水面下だけを見ていると、餌を奪い合ったり、あるいは針がかかっててんでバラバラに魚が泳いでいるように見えても、「釣り船」はひとつなのだと思えるようになってきた。また釣り糸も、いろんな所から垂れているように見える。しかし、実際の釣り船は一艘なのかも知れないということを感じている。現場の記者が様々な苦労をしながら目の前の現実を追っているのには敬服する。ただ、時には水面から顔を出して、釣り船を確認する必要があるのではなかろうか。釣り上げられてから船体を確認するなら、遅すぎる。とまぁ、これは、近頃の日本語新聞を読んで思い出したことで、実際の紙面や記者とは関係のない話。
さて。先日のニッケイ新聞「出席者10人=お粗末総会=」が、気になっている。上原会長の腹の中は、ブラジル日系団体連合会(UNEN)廃止なのか継続なのか。私は、廃止あるいは存続しても有名無実な状態を望んでいるのではあるまいか、と思う。一連の「100周年箱物」プランのぶち上げも含めて、権力と財力、さらに施設を文協に集中させ、求心力(と書けば聞こえは良いけど、詰まるところは影響力)を高めたいのだと、彼の腹の中を読んでいる。その意味では、ニッケイ新聞の記事、さらには「記者の目」の「『UNEN必要なし』=コロニアの総意=文協が引き継げ」などは、一見すると上原会長を批判しているように見えても、格好の支援材料になっただろう。しかもそれが、「コロニアの総意」であるという。こうして「コロニアの総意」を味方につける道が開けた上原会長は、ニタ笑いしていたりして。
私は、「必ず」とか「いつも」とか「絶対」とか「みんな」などといった言葉が、議論の中に出てくることを非常に嫌う人間である。それだけで、どこか胡散臭くなる。それは、移民100周年を期に流行語になっている「コロニアの総意」も同じ。総意なんて、あるわけない。コロニアが存在しないんだから…というのは半分ジョークで、そもそも現実的にこんな広い国の日系人の総意なんてないでしょということ。そして、そのサンパウロの一文協の選挙の票読みを「コロニアの総意」とした上で、これを主張のよりどころに据えた紙面づくりというのも、日本語新聞のアキレス腱になりかねないのではないかと危惧する。回りくどい言い回しを避けてストレートに書けば、つまりは、「当地の日本語新聞は報道というものを放棄している」ということ。コロニアの総意とまでは言わなくても、例えそれが日系団体の長や日系の活動にアクティブな日系人の大部分の意見であったとしても、この意見が誤っているということもある。「コロニアの総意」などという言葉を、安直に黄門様のように掲げるの大衆迎合的な紙面づくりは、私には戦中の日本の翼賛新聞と同質のように思える。そう言えば、「日本が第2次世界大戦に勝った」というのも、一時は「コロニアの総意」だったからな。その中にあって身の危険を顧みず敗戦報道を行った、今はなきパウリスタ新聞の記者として、その末席に名を残させていただけたことは、私の誇りでもある。
そしてそれでも、日々、困難に直面しながらも報道に努力している現在の日本語新聞の記者たちには、感謝せねばなるまい。釣り人が何人いようとも、記者への敬意はいささかも薄れるものではない。
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