貴卑コラム l 作ってみようブラジルの味 l 迷訳辞典 l ブラキチさん いらっしゃい! l 何でもブラジルデータ |
ブラジルにおける日本製品の不買運動 |
2005年4月11日 |
サンパウロ在住 美代賢志 |
…というような、妄想をしてみた。
まず、ブラジルの特徴。
1) 広い国土があり、地域格差が大きい。
2) 教育水準の格差が激しい(大多数は「学歴的に」低い水準)
3) 行政に対する大衆の信頼が薄い一方で、(漠然とした)国家に対する愛国の精神が強い
4) 歴史が浅い(リセットされた歴史を持つ)
そして、これが大衆ってやつなんだなぁ…と思ったのは、2002年の大統領選の時。
「(ルーラ大統領の所属するPTの政見放送によれば、)カルドーゾ大統領(当時)って、ものすごい外遊ばっかりやってたんだって。そんなに(観光)旅行するなっての。やっぱりルーラが大統領にならなきゃダメだね」
「単純に言って、国際社会で政治的、経済的に信用を得るためには、こちらから出向く必要はあるんじゃないの。ブラジルを信用するためにブラジルを訪問しろって立場じゃないでしょ」
「政府に金が無いのに外国へ行くのはおかしい。だからルーラに投票するぞ!」
この人は今、ルーラ大統領がカルドーゾ前大統領を上回るペースで外遊していることすら知らないし、ましてや、国産品の愛用を訴えていたあの人の政府が、国内メーカーのエンブラエルではなく外国の航空機メーカーから大統領専用機を新調したことなんて…。
実際には政見放送なんてほとんど誰も見ていないのだけど、こういった「つまみ食い」による近所の誰かの意見は、「国がそうあって欲しいことを切望する人々」の間に、野火のように広がる。こうした人たちは新聞を読むどころか、テレビのニュース番組ですら見ない。自分の考えを補強してくれる誰かの意見が「(政党の意見ではなく市民の声として)客観的に(思えるような形で)届けられる」のを待っているのである。自分の考えに反する意見はすべて、「反対政党の陰謀による偽情報」。まるで、戦後のブラジル日系社会を混乱に陥れた、勝ち負け抗争みたい。すべては、己が信じる対象の賛美がスタートであり、ゴール。
そんな自己完結タイプの国民がウジャウジャいるブラジルで、日本製品の不買運動が発生するなら、次のようなロジックではなかろうか。
【貧乏代表】
本当は日本製品を買えないのに、「買わない」ことにできて、現実を一時的にも逃避できる。そして、そんなものを買うなと、日ごろは自分たちに偉そうな金持ちに対して堂々と意見することができる。
【金持ち代表】
自分が日本製品を「買ってしまった」のを、日本製品を安価に市場に大量に溢れさせてしまった行政の責任にする。悪いのは行政。今後は、外国製品の国内価格を「相対的に」引き上げて(粗悪&高価な)国産品の価格とバランスをとるべき(そうなっても、私は外国旅行の際に購入するから問題ない)。
とは言っても、ブラジルがこういった思考回路から日本製品の不買運動を実施するのは考えられない。が、反対にブラジル製品の不買運動は存在する。アルゼンチンが実施している、ブラジル製品に対する輸入枠の設置(輸入規制)は、国家的不買運動みたいなもの。で、そのココロは。
1) ブラジル製品の方が安くて品質がよい。
2) ブラジル製品を買うことで豊かな暮らしを実現したと思ったら、隣国のブラジルはもっと豊かになっている。ブラジルはIMFから自立しているのに、わが国は借金地獄から抜けきれない。インフレも激しいし。
3) じゃぁ、ブラジル製品を制限しよう。これにより、私たちの豊かな暮らしは一時的に遠のくが、ブラジル人の手に渡っていたお金が国内に向かうから、私たちが豊かになるペースは、ブラジルが豊かになるペースを上回る。多少、大変な部分は第三国からの安価に輸入することで融通しよう。ブラジルを益するよりは良い。
ひところは、ブラジルも米国に対して、アルゼンチン国民が感じているような感情を抱いていたはずだ。現実に眺めることができる「そうあって欲しい国」の姿が、どんどん遠のいてゆくという挫折感。あるいは、「豊かになることが、貧しい文化しかない(かたやバカ騒ぎのサンバであり、かたやタンゴ)とバカにしていた国に近づくことである」という矛盾。アルゼンチンどころか、日本だって、和魂洋才などと騒ぎながら、そんな屈折した気持ちを抱いていた。
今では、この類の感情論は、少なくともブラジルでは、あまり聞かれなくなってきた。ブラジルが独り立ちしたと感じるのは、経済的にIMFの庇護から脱したというよりも、こういうことを言うのではないだろうか。そして「いつか通った道(とまでは言えないけれど)」を分かる国として、途上国各国と対話のチャンネルを持とうとルーラ大統領が外遊にいそしんでいるものと期待したい。
◇
広大で地域格差の大きいブラジルを歩くとき、「豊かな生活って何だろうなぁ」と、思う。もちろんそれは、国の(精神的)自立ではなく、人々の価値観(精神的自立)の問題だが。
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
笑い声もにぎやかにトコトコやって来た。まだ小学生のような三男坊が運転している。 |
今回も、舌足らずで失礼。
当サイトに掲載の文章や写真、図版その他すべての著作権は、断りのない限り美代賢志個人に帰属します。 |
Copyright (C) 2005 Kenji Miyo All right reserved. |