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続・祝・戦後移民50周年 |
2003年9月17日 |
サンパウロ在住 美代賢志 |
前回のようなことを書いたので、ニッケイ新聞に連載が出た(そりゃ、自意識過剰だよ)。
タイトルは、「平成の自由渡航者たち=運命の出会いに翻ろうされて」(8回連載)
見出しに反して、連載に登場する人物はいずれも、自分の道を自分で選んでいる人ばかりで、「翻弄されている(された)人」はいないのだが、読み物としてはなかなか楽しい。もちろん翻弄云々というのは大方の読者である戦後組織移民や戦前移民へのあてつけだろうし、そうして見れば、さらに楽しく行間を読むことができる。
この連載のブラジルにおける反響はよく分からない。連載期間が、ちょうど私が田舎に行っていたのと重なったためである。読んでいて残念だなと感じるというか、記者に同情を禁じえないのは、その行間にこそ、書きたいことがあったんじゃないのか?ということ。
印象に残った部分をひとつだけ書くと、連載2回目で、永住権を申請するもなかなか取得できず、ブラジリアへ押しかけるといとも簡単に取得できたというところ。
…「でも、ずっと待っていた二年間は何だったんでしょうね」と苦虫を噛み潰す。
もちろん、「何だったんでしょうね」などと言っているが、彼自身はそれが何だったか知っているし、記者だって知っている。ブラジルの読者だって、大多数が知っている。なら、バッサリ書いても良かった気がする。そのために見出しでオブラートに包んだんじゃないのか?と思う。
つまりその2年間は、自分の足で立っていなかった、ということ。半年で取得できるなどと言われても、それが連邦警察のコメントであったとしても、所詮は窓口の第三者。だから、自分で選んだ生き方を自分の手で全うしようとブラジリアへ行くのである。そんな彼らの姿は、もっとありのまま輝かせて良いと思う。そうして自活する若者を、僭越と感じる移民がいるのは認めよう。「俺達がいたから今のお前が自由に振舞えるんだぞ」、と。まるでステレオタイプな駐在員と移民の関係だな(この視点は連載第1回目からの通奏低音だし…)。しかし、「国策に翻弄された」と呼べる移民政策があったことを拡大解釈し、臆面も無くそれを主張する一部の組織移民と混同されたり、あるいはそんな一部の人たちに気兼ねして生きなければならないというのなら、私はそちらの方が何倍も嫌だ。
ドミニカ移民として国策で荒地に放り出され、裸同然でブラジルに再移住して活路を開いた日本人もいる。少なくとも彼は、「大変だった」と言いこそすれ、「国策に翻弄された」とは言わないはずだ。
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