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性善説といい性悪説という |
2003年8月1日 |
サンパウロ在住 美代賢志 |
赤ん坊というのはまったくもって無邪気なもので、まさに性善説の存在理由をそこに感じる。まだ3歳の甥っ子が愛情あふれる雰囲気で長女の寝顔に見入ったりする一方で、12歳になる姪っ子は、そのような無邪気さはない。世間ずれしているというか、どちらかというと、大人が赤子に接するのに似ている。
人というものは本来、善なるものであってそれが「個」の確立とともに私欲が生まれ、悪に転じるのだ。
赤ん坊が泣く時というのはまったくもって世間をはばからぬもので、まさに性悪説の存在理由をそこに感じる。場所も時間もわきまえずに泣きだすのは、3歳の甥っ子も同様で、12歳になる姪っ子には、そのような社会性の欠如はない。世間とのつきあいもあるわけで、どこか、大人びたところがある。
人というものは本来、悪なるものであってそれが「個」の確立とともに社会性が生まれ、善に転じるのだ。
いつもの下らぬ前振りはこの辺にして
おかげさまで、長女が誕生した。一番驚いたのは、生まれて数日にも係わらず笑顔を見せたりすることである。これって常識なのか? 私は、人とは猿として生まれて人間として成長するものだと思っていたのだが…。
人の成長過程は、まるで生物の進化を見るがごとくに進む。母親の胎内では尻尾があったりするのもその一例。生物の進化の過程を体験し、生まれ出る。生まれ出た時はすでに、人だったのだ。だから人は、人間性を失いつつ成長する生き物。いかに人間性を失わないか、失った人間性を取り戻すかが、生活の要となる。
しかしこれ、結局は禅思想と同じではないか、と思い至った。いや、別に禅を学んだりしたわけではないが、私は禅を、そのように理解している。
それにこれは、どことなく教育のあり方、というものにも通じる。「○○したらダメ」というのは日本人の教育の定番と言われるが、それはまぁ、ブラジルも含めてどの国でも同じだろう。ただ、ブラジルでは誉める時も盛大である。比率にすれば、誉めるほうが多い。このような教育は、「人間性を伸ばす」のではなくて、「人間性を刈り取らない」と表現するほうが近いのではないか。
とりあえず、猿を人間に育てるなどとは考えず、人間性を維持させるような方向で娘を育てたい。そう自戒しているこの頃である。
ちなみに、「娘は父親に似る」とのセオリー通り、どこから見ても日本人の顔をして生まれてきた。東洋人の赤子は珍しいらしく、病院では看護婦に大人気。だが、義父の第一印象は「ぶちゃいくだなぁ」。そして私の第一印象は、
「朝潮じゃん…」
でも確かに、私の幼い頃にそっくりのようだ。クローン技術を使ったと言っても、疑う人はいないのではあるまいか? それが正しければ私の長女は将来、こんな感じになるはず。以下は、ブラ妻が最先端技術を駆使して描いた30代の長女のCG画像。画像がやや乱れているのは、ブラ妻のデータ入力がファジーなためである。
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