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血は争えぬものか |
2003年2月12日 |
サンパウロ在住 美代賢志 |
前回は「自分の中の日本人」ということについて、少し書いてみた。
これを読んだ読者の中には「でも、やっぱり日本人は日本人と結婚した方が良いんじゃないの!」とおっしゃる方がおられるかも知れない。別に私だって、「すべからく外国人と結婚すべし」と主張しているわけでもない。それこそ各自の勝手だ。
そこで、私なりの解釈を少し書いてみよう。
「ブラジル人なんかと結婚して、大変でしょ!」
と、ここブラジルにおいてすら、言われることがある。実は、「ブラジル人だから」大変だったことは1度もない。まぁ、ブラジル人以外と結婚したら違った夫婦生活だろうが、それが「大変ではないもの」かどうかは分からない。何しろ、ブラジル人以外と結婚したことがない。それに、統計学的に語るに足る件数の結婚経験をつむのも無理だろうな。こう言う人のパターンはだいたい決まっていて、ほぼ9割9分、日系人と結婚した日本人である。もうひとつ加えると、日本文化というものを深く理解しておらず、見掛けだけの「日本的生活」を過ごしている人が多い。「相手はなぁんとなく日本人なんだけど、でもやっぱりブラジル人なんだよね。それでも大変なんだから…」などと言う。
日本人というのは近世以降、血つまり血統というものに執着する傾向が強い。それは国民全体が信じ込んでいるためにあまりにも当たり前すぎて、だれもそれに疑問を持たないほど。例えば1990年(今からわずか13年前)に改正された入管法でも、日本で就労できるのは日系3世とその配偶者までとなっている。つまり言い換えれば、4世になると「血が薄い」のである。
単純に1世とか2世などと、日本から隔離された世界に生きる日本人を考えた場合、あるいはそうかもしれない。では、次のようなケースを考えてほしい。
1) ブラジル育ちの2世で日本語をほとんど話さない人と、日本生まれの4世で日本語しか話せない人は、どちらがより日本人的だろうか?
2) 日本生まれで幼い頃にブラジルに渡って日本文化をほとんど知らずまた関心も持たずに成人した日本人と、ブラジル生まれで日本文化が好きで熱心に勉強しているブラジル人と、どちらがより日本人的だろうか?
3) お祝いごとは手料理で日本の伝統料理を作るという日本人移民の家庭と、誕生日はケーキとマック、フライドチキンで済ますという日本人家庭と、どちらが日本人的だろうか?
答えは勝手に想像していただくとして、いずれもキーワードだけでは「どちらとも言えない」ことが多い。日本語を話すこと、日本文化を学んでいること、日本料理をつくること。これらはいずれも、前々回に書いた、「文化を担う道具」でしかないからだ。むしろその使われ方、あるいはそうした事象を超えた先にある目的や意義を理解しているかどうか、ということで計らねばならない。私はこれを、重視する。
例えば一膳のご飯であっても、私はそこに込められた意味、そしてその背景を理解し、大切にしたい。漠然と、「それを代々食べてきた」というだけでは満足したくない。ご飯を茶碗に装うということ、それを箸で食べるということ。その背後には料理と器の体系、それを熟知する農家や焼き物職人、料理人がいる。そして日本の風土、食材という犠牲。それを理解して初めて、私は「タイ米は私に馴染まない」と言いたい。それを知って、「美味い米とは何か」を語りたい。だから、ブラジルで日本米を食べることの幸せも、噛みしめるように味わう。それを知るからこそ、一膳の椀を手に取る前に手を合わせる。自然と身についた日本的な習慣そのままに惰性で生きるならば、「茶を飲むのが茶の湯の道」と言っているようなもの。その作法も本来の目的を忘れ、「そのように教えられたから」するだけ。だから日本でも、ファミレスなんぞで「いただきます」と言う人が少ないのだろう、きっと。ガッコの先生は「家でご飯を食べる時は」と言っても、「ファミレスでご飯を食べる時は」などと教えないものな。
教えられたから、する。そこが日本だから、する。では、ここブラジルではその文化は、意味を持たないのか? だから、「ここはブラジルだよ」と言われると返す言葉がないのか?
もし私に子供ができれば、そんな理屈で日本の文化を教えたい。けむたいオヤジと言われようが。子供には、「お父さんがそうしていたから」などとは言わせたくない。
この姿勢は、誰にも譲ることのできないもの、自己満足という終わりのない世界である。だから結婚した相手が極端な話、日本人であったとしても私は、自分の中の日本を守るために日本文化の理解に努める。その観点から見れば、単に日本人というだけで見掛けだけの日本的生活をしている人は、自分を守るのに大変だろうな。何しろ、依って立つものが自分に流れる日本人の血しかないのだから。それこそ、「子供がブラジル人と結婚すると、日本人じゃなくなってしまう」と思うのも無理はない。あるいは、「そもそも誰と結婚しても、日本人の子供は日本人」と血にすがって無邪気に構えるか。結局は、「結婚するなら日本人か日系人にしなさい」と子供に言うのが手っ取り早いということになる。
私がブラ妻に求めるのは、異文化を理解して止揚させようとする視点。そしてブラ妻が私に求めるのも、同じである。
血を語る前に血の色を見よ。そして語るなら、同じ色の血でなぜ違うのかを語れ。
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