ブラジルはいよいよ選挙が近づいた。4年前の選挙では日系の候補者が乱立し、「票を分け合って共倒れした」と言われている。当時はニッケイ新聞社で編集の仕事をしていたが、確かにそう言われればそうだろうか、という感想を持った。この直後に上野アントニオ元連邦下院議員と話をする機会があった。新年号特集ページ向けの、速記と写真撮影という矛盾する任務だった。この時の上野元連邦下院議員の話も、やはりそこに集中した。パラナ州の日系団体を支持母体として活動しながら、多くの政治家を育ててきた人である。
「次回は、各政治家の実力を見て候補者を絞るということが必要だ。しかし今、それだけのリーダーシップを取れる政治家がいなくなった」
そんな話を熱っぽく語っておられた。
先日のニッケイ新聞は図らずも、多くの日系候補が林立しているという記事が掲載されていた。その中で目を引いたのがこの上野元下院議員の発言で、昔は投票権の無い親が子供に対して、特定の候補に投票しなさいという指導票というのがあったという。これと絡めて、1世の発言力が低下したという内容だった。
1世の発言力が低下した理由は、いくつか考えられる。思いつくままに書いてみる。
第1に、1世そのものが減少した。
第2に、かつてはポルトガル語やブラジルの法律に悩まされた1世も、それなりの知識を身に付けて、子供の世話にならなくなった。
第3に、1世が高齢化し、家庭を支える一線から退いた。
しかしこれとは別に、上野元下院議員の発言から日系議員のこれまでの役割を推測してみると、日系議員の役割は、日本人移民の便宜を図ることであったといえるのだろう。
日本人移民への便宜とは、どのようなものだろうか。大雑把に言えば、1世を中心とした日系団体に対する言語、法律的問題の解決といえる。
1世を中心とした団体の勢いが失われつつある今、これでは政治家も「口利き」で活躍する場が無いのかもしれない。しかし一方で、こうした状況はむしろ、本来の政治家という意味で好ましい状況なのではないか。政治が移民社会の「便利屋」だった時代が過ぎ、ブラジルの政治家として成長することが求められている。
こうやって書くといかにも単純な図式だが、どうも単純に割り切れないのが政治の世界のようだ。
中国系移民の政治家に、といって名前を書くのもどうかと思うのでボカして書くと、父親が華僑、母親が日系人というサンパウロ市会議員がいる。98年の選挙では、大々的に中国系ということを前面に押し出して出馬した。リベルダーデ区の選挙事務所は、こてこての中国的装飾一辺倒だったほど。この当時、母親が日系として報じられるのはごく付帯的な説明で、「実は彼のお母さんはね…」という程度。そして当選した。ところがこの4年間で、この政治家は180度の方向転換を成し遂げる。今では、「実は彼のお父さんはね…」という感じである。
中国系コミュニティーとの二股かな?と、最初は思ったのだが、ちょっと大きな催しでも、大々的に日系をアピールしている。中国移民は資金的にも力を持っており、戦後1世の発言力も強い。上の図式に照らしてみれば、中国系移民として売り出したほうが、対抗馬の中国系候補者が少ないという理由からも有利だと思えるのだが…。
彼の当落に興味が沸いてきた。それに、このあたりの事情もぜひ聞いてみたい。
2002年10月4日補遺(訂正)
すっかり勘違いしていたのだが、今回は市議選はなく、大統領選と州知事選である。そうでなければ、サンパウロ市のマルタ・スプレシー市長が2002年上半期に日本へ行くなどということができた訳がない。ということでこの某市議会議員は、中国系で出馬・落選(96年)の後、2000年に日系として出馬・当選したというのが真相か。気がつけば議員ヅラしているので、不思議に思ってはいたのですが…。2000年の選挙時に私が日本にいたことも、このあたりの事情の勘違いを増幅させてしまいました。それにしても…いやはや、ご迷惑をおかけしました。
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