ひと缶のコーラであっても、ブラジル人は「(ひと口)飲みますか?」と相手に聞くのが習慣だ。時々、ショートケーキやひと口サイズのポン・デ・ケイジョひとつなどでもそうして聞く人がいるほどである。
その昔の週給約2500円程度だった頃、なけなしの金をはたいてマクドナルドのハンバーガーを買い、セー広場(Praça
da Sé)で食べたことがある。後で事情通の先輩が言うには、こうした世界的なファーストフードは、世界のどこへ行ってもドルベースでほぼ同じ価格だという。だから当時は、日本のイメージと違って、高級料理であった。
こうしたファーストフードは、どこかオープンなスペースで食べるのが好きだ。日本では、京都の鴨川河川敷が私の定番であった。
広場のベンチに座ってパクついていると、1人の男の子がやってきた。
「ひと口、ひとかけらで良いから、くれ」
という。貴重なハンバーガーをあげるのはともかくも、こんな浮浪者がかじった後は、食べる気にならない。ということで「イヤ」と断ったら、次に12、3歳ぐらいの女の子が加わってきて同じことを言う。それでも断ると、どんどん人数が増えて、最後には8人ぐらいに囲まれた。さすがにビビってしまった。でも、もやは手元のハンバーガーはひと口サイズである。あげるにもあげられない。
「イヤ」と断って、その禍根の元を口に入れた。「こいつさえ無くなれば、文句を言うヤツもいなくなるやろ」。ところが、その後の浮浪者の皆様の怒りようは、それはそれはスゴかった。というか、罵声を浴びせられたところで、何を言っているのか分からなかったのであったが。「この日本人野郎」みたいな大騒ぎで、他の浮浪者まで集まってきそうな雰囲気であった。さすがにたまげて、急いで退散した。
食べ物の恨みは深いというが、まさにその通りである。
この話をブラジル人にすると、大笑いされる。「セー広場でハンバーガーを食べるなんて、正気じゃないよ」ということらしい。
でもあそこは本来、公共スペース、市民のものじゃないのか?
しかしこれが、多くのブラジル人が考える公共スペースのようである。つまり、「不特定のそれを必要としている人が勝手に利用するスペース」。浮浪者の宿となるだけでなく、露天商や屋台の営業なども、その延長と言えるだろう。車でやってきて、数10脚のテーブルを勝手に歩道に並べて商売をする大規模な屋台もあるほどだ。「そこで商売をする必要のある人と、そこでそのサービスを望んでいる人がいるのだから、良いじゃないの。皆のための場所なんだから。あなたに迷惑をかけてるわけじゃなし、そもそも、あなたが文句を言うべき権利のある場所じゃないでしょ!」。だから市役所の監督官が行くと、買収しておしまい。
「公共」というものに対するイメージが、かなり違うと思う。これは政治の違いでもあるかもしれない。ブラジルでは高い税金が、政治家の懐に消えてゆく。汚い街のありようを見ても、日本人的に言えば、ポイ捨てをするから市役所は多くの清掃人を雇用しなければならないように思う。しかしゴミがあろうと無かろうと、市役所は清掃人を雇うのも事実である。サンパウロ市では、清掃業者関連で政界汚職の噂まで出た。公共スペースで公衆道徳を発揮したところで、結局は同じという意識が浸透している。
後年、日本のテレビでデカセギによる屋台が問題になった報道を観た。日本人とブラジル人の議論が同じような部分で、食い違っていたようである。「どちらかが間違っている」のではなく、「公共スペース」を互いに直訳したところで意思疎通ができないという部分。その後は、どうなったのであろうか。
|
これがサンパウロの中心地 セー大聖堂 |
ちなみに、広場(praça)よりも公園(parque)や庭園(jardim)のほうが、一般的に管理が行き届いており安全です。
|