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交渉上手なブラジル人
2002年8月5日
サンパウロ市在住 美代賢志

 7月29日から8月2日にかけて、ブラジルの金融市場やカントリー・リスクは過去にないほど荒れに荒れた。サンパウロの為替市場では1ドル=3.6レアル台突破と、1994年7月にレアル計画が始まって以来、最低を記録した。しかも1日で15%近くも下落するというのも前代未聞だった。この週にブラジルが経済危機に陥った主な原因は、米国のオニール財務長官が7月27日に「財政支援の金が効果的に使われずにスイスに流れてゆくブラジルのような国を米国は支援しない」などと発言したことが原因である。

 さて、この財務長官の発言の真意は、エンロンに続くワールドコムの破綻によって膨らんだ投資家の不信感を、一時的に米国金融市場から外部にそらすことだったと思う。ワールドコムの不正に大きく関わっていた言われるJP Morganが算定するカントリー・リスクの動きにもおかしなものがあった。そして実際、この目論見は見事に功を奏した。

 ブラジル政府からの若干の反発はあったが、IMFとの支援協議を優先する目的からか、明確な批判というか反論がなかったのは意外だった。8月1日にブラジルのフェルナンド・エンリッケ・カルドーゾ大統領が、名前をあげずに批判した程度。むしろワシントン・ポストがブラジルに同情的な、というかむしろオニール財務長官の辞任を求めるような強烈な批判を展開したのが意外であった。そして同日、ブラジリアの米国大使館が、「オニール財務長官はブラジルをよりよく知るために」ブラジルを訪問することになると発表したことで、ブラジルの動きが推測できた。

 ワシントン・ポストの動きとこれに続くブラジリアの米国大使館の反応に、ブラジル側の水面下の交渉があったことは確かだ。

 結果的にはオニール財務長官が前言を撤回したことと、ブラジルとIMFの交渉に再び注目が集まったことで為替相場も急反発した。米国市場のダメージも押さえられた。ブラジル市場が傷ついたといっても、米国市場の混乱が続くことを考えれば、まだよかったといえるレベルかも知れない。また、オニール財務長官は、アルゼンチンなど他の経済危機にある国も訪問するという。南米歴訪という形をつければ、ブラジルの批判をうけた行動ではないというアピールになると同時に、南米を重視するという米国の姿勢もアピールできる。

 オニール財務長官の談話はもちろん、こんなことを見通していなかっただろう。この結果を引き出したのは、むしろブラジルの政治手腕だ。日本の政治家と比較すると、ブラジルの政治家はこういう場面での駆け引きが非常に上手い。この理由は色々あるのだろうが、やはりブラジルの政治や経済、社会での生存競争が非常に激しいということがあるかもしれない。もうひとつ、日常的に交渉が必要な社会である。

 生活のいろいろな場面で、ちょっとした一言で価格が大きく変わったり、相手の対応が変化する。

 その意味で、各移民の中で交渉上手(というか交渉が難しい)と言われているのが、ポルトガル系である。大航海時代に世界の海を制覇したこの民族は、もともと交渉上手だったのか、結果として交渉術を身に着けたのか。いずれにしても「ポルトガル系だからね」という会話のが交渉の合間に出るほどである。もうひとつ、ポルトガル領時代から多くの官僚を生み出してきたアラブ系も、ブラジル国内では非常に交渉が上手な民族と言えそうである。翻って日系人は、良くも悪くも交渉術が未熟。人口構成比で学歴(とくに大学進学率)の高い日系人が政治や経済(とくに事業主という部分)で大きく出遅れているのも、その辺りに原因がありそうだ。

 ブラジルのポルトガル語には、本来のポルトガル語にない文法(本来なら誤った文法として片付けられるのであろうが…)がある。会話の中で発言を追うだけではなく、文法に注意を払えばどういう関係が成立しているのか、おおよそ理解できる。しかも交渉の変化に重要な役割が与えられていたりする。これは日本語の敬語とは異なるが、似たようなものだと思ってもらうと分かりやすい。もっとも、これが英語圏に対する交渉でどのように働いているのかは、私には分からない。ただ、日本におけるデカセギと日本人の話し合いでは、こうした機微を見逃したことがすれ違いの原因というケースが多いことは確かだ。

 会社からのお願いという歩み寄った表現が「通達調」になって、ブラジル人の神経を逆なでするケースはザラだろう。また「交渉における位置関係を探る」意味合いでブラジル人が否定的な発言したのを「完全拒否」で訳したり、はたまた通訳が気を利かせて「丁寧語」になったりといった具合である。

 もちろんこれは、発言内容の字面を重視することに問題がある。交渉というのは本来、「生きた」ものだ。私がもっとも気に入っている方法は、当たり前だがブラジル人にはポルトガル語で、日本人とは日本語で直接交渉することである。ポルトガル語の機微を日本語に置き換えられるほど、私の言語能力は優れていない。

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