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形式主義が形式でなくなる時
2002年6月20日
サンパウロ市在住 美代賢志

 バールで知り合いと飲んでいて突然、「美代君ってさあ、右?」と、聞かれた。

「右利き、だけど」

「いや、そうじゃなくて…」

 右翼、ということらしい。

 愛国党員ではないし、思想的にも右翼とは思っていない。むしろアナーキズム。ブラジルのように世界が丸々、好き勝手なごちゃ混ぜ文化として互いを尊重するようになるとと面白いと思う。が、世の中そうもゆかないようで、それならせめて、生まれた国ぐらいはしっかりしていて欲しい。

「以前さ、『美代君はバリバリの右翼』って言ってた人がいてさぁ…。あの人、知ってるでしょ」

 そういえば、ほかにも、「君はいくつだ。それなら私の娘と同じ世代じゃないか。そんな考えをしていてはいけない! 今、日本でそんな教育はしていないだろう」と、言われたことがあった。発言は、JICAサンパウロ事務所の某課長(当時)。

 94年の年末、JICAから忘年会のお誘いを受けた時のことであった。その数日前、関西のとある大学の探検部員3人がアマゾン川を筏で下っていて、そのうち2人が消息を絶ったことがきっかけである。早大探検部員が殺害される前の出来事。ひょんなことから私は、彼らの通信員のようなものを頼まれた。

 企画書では、「最後の連絡から20日以上通信が途絶えた場合、捜索願を現地に提出する」ということになっていたと思う。しかし今後、同じような企画をお考えの方のために書いておけば、明らかに消息を絶ったと分かっている場合は、1日たりとて絶対に、連絡を待つだけの受身の状態ではおれないことは確実です。私自身も、以前に知り合いが同じように筏で下っていることから、「まぁ、大丈夫だろう」と、たかをくくっていた。だから、「消息を絶った(はぐれた)」という話を聞いたときは心底たまげた。ブラジル側の他の関係者も同じだった。

 そこでまず、社会人歴の長いペルーの通信員(この方は後日、大使公邸占拠事件で人質になられました)に連絡、相談した。

「うーん。企画書にはそう書いてあるけれど、とりあえず領事館に連絡したほうが良いでしょうねぇ。日本へは、公式に捜索願を出した時点で私のほうから、連絡します」

 ということで、非公式という観点からサンパウロのN首席領事に打診した。そこからベレンの領事館へと連絡が行き…。さらにパラー州政府に非公式の連絡が行き、捜索地域の絞込みが行われた。公式にブラジル政府に捜索を依頼した時点で記事にして、世論を盛り上げましょうということになった。

 その行方不明の第1報を書いたのが、このJICAのお呼ばれの夜であった。記事を書きながら考えると、アマゾン川を筏下りするという行為は現在、地理学的には探検でも冒険でもなく、むしろ趣味とか物好きとか、そちらに属する部分ではなかろうか。アマゾン川流域を生物学的見地から観察するというのでも、文化人類学的に踏査するというのでもない。とにかく自然よりも治安の脅威のほうが大きい。アマゾン流域の人のように、水上を往来することに生活の必要性があるわけでもない。そもそも、流域住民のほうが自然と治安、さらに貧困の脅威を受けている状態である。流域ではそれこそ、数多くの地域住民が行方不明になっている。が、当たり前だが捜索はおざなりである。

 ところが日本人の捜索には、パラー州知事の指令で軍隊が大々的に出動するという。日本で言えば、自衛隊が出動した阪神淡路大震災のようなもの。「さすが日本!」と、単純に思えれば良かったが私は、「海外では、個人の生活であっても時として、国と国との問題に発展するんやなぁ…」と、感慨に浸ったのであった。

 その余韻を引きずったままJICAのお呼ばれ忘年会で、「海外にいると、日本という国のありがたさを強く意識せざるを得ないですね。個人の自由だなんだといっても、その個人の背後に経済大国の日本があるから保障されているようなもんですよ」と、言ったのであった。この発言に、JICAの課長はえらくご立腹されたのである。

 さて、その記事が出てからは、日本のマスコミが大騒ぎであった。二日酔いの朝、いきなりY専務(当時)に呼び出された。時事通信が、私の持っている写真を欲しいといっているそうである。

「いったい、いくらで売れるんですか。貴重な写真でっせ」

 ところが金額的には、なーんにも私の手元には入らないという。

「それで、渡すと決めたんですか。私の写真を…。イヤと言ったら、どうなるんです」

「お前の写真ではあるが、会社のものでもある」

「ええぇぇぇぇぇええ!」

 で、聞くと時事通信への支払いが、この年の2月以降、10ヶ月も滞っているという。それをこの写真でチャラにするのだと、Y専務はコンコンと説明するのであった。「あの写真が会社を救うんだ。まぁ、お前にも何かあるようには話しておく」と言われたので期待していると、Y専務から「JIJI PRESS」と書かれたTシャツを1枚、いただいた。Y専務の言葉を借りれば、たかがシャツごときに「時事が特別に美代君へと言っていた」そうである。これは日本製らしく品質がよく、今でも時折、パジャマがわりに着ている。時事通信さん、ありがとうございました。

 さて、その後の探検部員は、N首席領事が「明日から、空軍と陸軍の共同作戦で捜索を開始します」と言われたその日、私が自費で現地入りして捜索隊と合流しようと旅行代理店に航空券の料金を問い合わせたその日に、ひょっこり無事に連絡が取れたのでありました。

 ちなみに日本国旅券には、「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させかつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の所管に要請する」という外務大臣のメッセージが印刷されています。生まれて初めて自分の旅券を手にした日、この文面を見て「フンッ、こんなもん、書いたところでどうなんねん」と、官僚の形式主義を笑った私です。

ラプラタ川上流にあたるリオ・グランデの夜明け

2005.01.27 補遺
 本日、某昼食会でごいっしょした時事通信のIさんが、「あのTシャツって、どんなの? 胸の所にJIJI PRESSとか書いてあったの? 今はもうないですから、やっぱり貴重なものですよ」と、おっしゃっておられた。「ほんとですか。実は子供に破られ、ゴミ箱に…」。せめて、写真を撮影しておくべきだったと後悔。ちなみにデザインは、白地で、袖のところにJIJI PRESSとあって、2つの単語の間には、なぜか日本の国旗。胸のところは、鳥と木だったと思うのですが、児童絵画と現代アートを足して2で割ったような絵がありました。

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