もう1年以上前だが、アパートを物色したときに思ったことがあった。物件をいくつか見ていると東洋人、とりわけ日本人と日系人が住んでいたアパートというのは、いわゆるブラジル人の住んでいたアパートと見事に見分けることができるということである。というのも、日本人および日系人が住んでいたアパートは、「平均して汚い」のである。そこで思い出したのが、わが家のこと。何しろ妻は新婚当時、住んでいたアパートの板張りの床に毎日、ワックスをかけていたのであった。テーブルやソファーを移動させ、毎日が大掃除状態。現在のアパートはタイルだが、それでも金曜夜は大掃除になる。家具を移動させて床を掃き、掃除機に加えて2回の雑巾がけ。窓もサッシの溝までピカピカにする。日本人をはじめとする東洋人には、こんな習慣はないと思う。これは日常の、鍋やヤカンまで徹底している。
と書いてきて、以前に書いた新聞記事を思い出した。領事館のゴシップではあるが、日本人とブラジル人の気質の違いとして見れば今読んでも面白いので、ここに掲載したいと思う。
1996年2月3日付の「パウリスタ新聞(現ニッケイ新聞)」である。見出しは、「消えた『菊の御紋』」。
毎日毎日、サンパウロ総領事館来訪者を見つめ続けてきた「菊の御紋」が先日、丸く小さな留め金だけを残して取り外された。
トップセンタービル3階の受付横にあった直径約50センチメートルの菊花が刈り取られたのは、去る1月29日のこと。製作以来10有余年を誇る当代「菊の御紋」の歴史、始まって以来の珍事件という。
そもそもこの御紋、金属製でメッキが施されている。そして梨地仕上げ。汚れをふき取ることはあっても、あまり磨くと表面を傷めてしまう。この微細にざらざらした表面が、金の光を柔らかに放つ。その上、月日が輝きに渋さをにじませていた。
事件当日、総領事館を訪れた新米掃除婦が不幸にも、この日本独特の「侘び寂びの輝き」に疑問を抱いたのは当然の成り行き。
「まあ、なんと汚れた看板だこと」と掃除婦は思ったのだろう。金鏡のような輝きを取り戻そうと、わが家の鍋底よろしく一心不乱に磨き始めた。菊の御紋の威光を、この手で盛り戻す―。これはまさに大任である。
あっと驚いたのは領事館職員。見る間に金メッキが剥落し始めたのである。時すでに遅し―。もはや修理が必要だった。職員が検分したところ、掃除婦は大任を与えられた興奮からか、洗剤を間違えていたという。しかしこのあたり、確証はない。
単純に考えると、めっき剥落の最大の原因はやはり、ゴシゴシと擦ったことではないか。侘びた輝きを好む日本人と、鏡のような輝きを好むブラジル人。日伯両国の好みの違いが如実に現れた珍事である。
領事館側は「非は清掃会社にあり」と主張し、修繕を押し付けた。菊のご紋は数日の後、再び元通り掲げられるという。そして一方、「日伯文化の違い」を不幸にも、身をもって知らしめた掃除婦の行方は、だれも知らないのであった。
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カーニバルでも、こまめに?掃除 |
文章が下手クソな点は、新米時代の記事なのでご容赦いただくとして。文中の「伯」とは、ブラジル(伯剌西爾)のことである。また菊花紋について領事館側の話では、「細かい数字はないが、製作されて16年ほど」という説明だった。ところが調べてみればこれは戦後、サンパウロ総領事館開設以来の由緒あるものであることが判明している。しかも当時、担当の館員以外は取り外されたことも、再び備え付けられたことも知らなかったほどの「日陰者」であった。外務省のエエ加減というのは今に始まったことではないようであるが、ま、それは今回の趣旨とは別のことである。
写真は、サンバ会場の掃除に励む?おじさん。エスコーラが出場を終えるごとに、こうして掃除が行われる。もちろん、まだ演奏中である。そして誰かが落としたファンタジア(仮装)を頭に、おじさんはゴキゲン。すっかり気分は主役のようだ。隣のおじさんはもちろん、呆れているのではなく羨ましがっているのである。ところで、彼らが着ているカラフルなユニフォームは、サンパウロ市のもの。もちろんカーニバルにあわせて派手に、というのではなく、普段もこの色である。早朝や深夜にも行われる市中の清掃作業の安全を考えて採用された色だ。
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